レトロ看板・貼り紙(2025年10月30日追加)
市内にはさまざまな看板があります。
 大洲小学校のフェンスには「伸ばすな非行 地域の手で」と書かれた看板がありました。
 「伸ばす」という表現は長所には使うものの、非行に対してはどうなのかなと。
 そして、微妙に七五調になり切れていないというのも、ムズムズします。
なにより、「伸ばすな非行 地域の手で」で子どもがジャンプしているイラストになっているのが、かなりムズムズします。
| 大洲小学校フェンス | 
 看板の歴史について調べたところ、日本では平安時代初期の834(承和元)年12月18日に施行された『令義解(りょうのぎげ)』に記載があるとのこと。都の東西の市(いち)に立てた看板に関連して「肆廛(みせ)に榜標(ぼうひょう)を立て行名(こうめい)を題せよ」と決められたそうです。『令義解』は、前年(833年)に完成した養老律令の注釈書で、法解釈の基準を公定したものです。
 また、戦国時代(16世紀中期)から江戸時代にかけて作られた「洛中洛外図屏風」に、看板が描かれているとのこと。国立歴史民俗博物館のサイトで見たのですが、とにかく細かすぎて、どれが看板かは確認できませんでした。
 改訂新版 世界大百科事典には、次のように書かれています。
早い例として,上杉家蔵《洛中洛外図屛風》(16世紀中期)に描かれた烏帽子屋(えぼしや)に烏帽子の絵の看板,筆屋に筆の絵の看板が見られる。当時はそれぞれ自家のシンボルを描いたのれんを入口にかけ,看板には商品の絵を描くのが一般的傾向であったが,店内の商品が一目で見られるので,商品や業種を示す必要が少なく,看板を用いる店はごく一部に限られていた。上記以外,桃山時代から江戸初期にかけて多数描かれた《洛中洛外図》その他の風俗図や,川越喜多院蔵《職人尽絵》などに描かれた看板には,ろうそく屋・数珠屋・櫛屋・人形屋・扇子屋・髪結床(はさみ・櫛の絵)・占師(易の卦の絵)・両替屋(小判の絵)などが認められる。このころの看板はごく小型の矩形または絵馬型である。江戸初期の看板で特殊なものとして,大型の絵看板がある。これは見世物に用いられたもので,寛永期(1624-44)ごろの静嘉堂蔵《四条河原図》や,元禄期(1688-1704)の《四条河原図巻》に,ヤマアラシ・クジャク・虎・熊などの見世物の絵看板が描かれている。
 時代を下るとともに看板が派手になっていくのですが、ピークはやはり昭和でしょうか。ちょっと強引ですが、看板建築も、看板の一種といえなくもありません。
 「周りよりも目立つように、派手に自分の店や商品をアピールしよう」という傾向が強くなり過ぎると、町の景観を損ないます。それに、「看板が見えにくくなるから、街路樹を枯らしてしまおう」「枝を切っちゃえ」などと過激な方向へ行けば、刑法261条の器物損壊罪に抵触するでしょう。
■街路樹伐採の罪問われる 旧「ビッグモーター」元店長の初公判
 現在はウェブ広告が主流で、「良識」と「センス」が求められていることもあってか、あえて看板を出さない店もあります。そのようなわけで看板も廃れていくのかもしれません。
| くるっと回ったスキー毛糸 大洲にある元手芸店 | 
| エステー化学のホワイトシーツ JR総武線沿い | 
| 小さな印刷所はあちこちにあった模様 JR総武線沿い | 
| 奥まったところにある銭湯 松戸街道沿い | 
| 松戸街道沿い | 
| 松戸街道沿い | 
 市内の看板や貼り紙から、かつての生業がわかることもあります。
| ミシュランタイヤの看板と看板建築 国道14号沿い | 
| テナント募集で、なぜセクシーな女性のシルエット? JR総武線高架下 | 
| 「監視」で目のイラストは定番 | 
花街の名残を感じてしまう、真間の看板。
迷惑駐車はやめよう
| ボールと子どもの組み合わせも定番 菅野 | 
| 国府台 | 
| 多分「ヘビに注意」江戸川河川敷 | 

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